びぃえすあぃ

ショックのあまり能が春眠暁を覚えずってました。何って我らがローゼンメイデントロイメント(http://www.tbs.co.jp/rozen-maiden/)ですよ。Bs-iにて放送予定とあります。BsですよBs。Bsってなんだろう。調べてみたところ、バックスペースとは違うようです。なんか専用のアンテナとかケーブルとかがないと見られないみたいですね。当然それらを手に入れるにはお金とかかかるわけです。はい。

あー。もうDVD買わなくていいやあははー。願い叶ったしー。


色々とアンテナに追加。なぜかNot Foundさん(http://www2.diary.ne.jp/user/69964/)が登録できなかったのが不満。
昔はもっといろんなサイト巡ってテキスト読んでた気がするけど、今はこんなもんなんだなと思った。何日かかけて一気読みするようなサイトにめぐり合ってないせいか、自分からひたすらテキストを求めて延々とネットをさまよう事がとんと無くなってしまった。とはいってもテキストがつまらなくなったという事ではなくて、単に自分の求心力が衰えているだけなのだろうが。

ネットの世界に始めて遭遇したのは、友人宅にあったPCのディスプレイから見えるセガBBSだった。何百人もの人間がHN背負って文字だけの世界でやり取りしている世界はそりゃもう魅力一杯の世界に見えましたとも。その後自宅にネット環境が配備され、真っ先にセガBBSに繋いだ僕はそらもう色々と思い出したくない事をやった気がします。このネット特有の熱病に侵された人なら大体お察しいただけるかと。ごめんなさい電波番長。

次にお決まりのようにエロ画像を収集するためにモデムをプイービーギャリギャリと鳴らし、それに飽きた頃にサイトに大抵乗っけられている日記をひたすら読みふけっている自分がいました。

そのうちリンクを辿り雑文館という人に読ませることを目的とした文章群を掲載する事が目的という、いわゆるテキストサイトと巡りあう事になります。前述の一気読みしたサイトがこの雑文館が初めてでした。

雑文館が僕に与えた影響は大きいです。ファミコンは未知の刺激を与えてくれましたが、雑文館の文章は既知の文字をいじくり回して面白い文章を作り上る、という新鮮な刺激を与えてくれました。この時に僕の中の文章という世界がいっぺんに広がった気がします。

とまあここまで感銘を受けておきながら何もしない辺りが僕の駄目人間たる所以です。せいぜいもっと文章を読みたいとネットにふける時間が増えたくらいでしょうか。お陰で試立りーふ学園の存在を知り、引いては鋼屋ジンさん、beakerさんのサイトを知った事は幸福でしたが。

その後2chを経てテキストサイトというものが多岐に渡る存在である事を知り、その中でNot FoundさんやみんなきてKOIKOIさん、ちゆ12歳さんなどを知っていく事になります。この頃からようやく自分でも書いてみようという気になってまあ色々と書いたり消したり載っけたりしてました。幸い同好の士に恵まれたので、楽しくやれた事は今でも感謝しています。

これだけ書き続けたんだから、僕の文章力や感性は磨かれているに違いない。つまり、過去の文章などつまらないものでしかないのだ。どれ、ちょいと二年前のテキストを引っ張り出してこよう。

腹が痛い。腸から決して香しくないであろう類のガスが発生するボコボコという感触と、それに付随して発生する痛みに私は苦しめられている。俗に言う「腹を壊した」という状態だ。

そんな状況の中トイレの中で踏ん張りながら私は考えた。私の腹は本当に壊れているのか? 壊れたと言えるのだろうか?

その答えを出すためには、まず「壊れた」という状態について考えなければなるまい。壊れたとは、つまりは外見を大きく変貌させる事だ。私は目の前のディスプレイを例にとって考えてみる。このディスプレイに向かって、玄関から持ち出した金属バットを全力で振り下ろす。これでディスプレイの枠は歪み、砕けたガラスが床に飛び散り、私の財産も散る事になる。

しかしこの「壊れる」を私の腹に当てはめると、電動ドリルか何かで私の腹を掻き回すかのようなグロテスクな光景になってしまう。私は恐くなって自分の腹を覗いてみた。そこには穴が空いていた。ヘソである。安心した。

これは私の腹が壊れていないということを意味しているのだろうか。いやいやそう判断するのは早計である。私は「壊れた」がもう一つの意味を含有している事を知っている。それは「正常に機能しなくなる」という状態のことだ。

もう一度ディスプレイを例に取ろう。これを正常に機能させなくするためにはどうすれば良いのか。そう、何も金属バットを振りかざす必要は無い。我々知識人はエレガントな行動を心がけねばならないのだ。その為に必要な道具は、コップ一杯の水。これで十分である。これをだばだばと注ぎ込めばディスプレイは壊れ、その光景を見た家族との信頼関係も同時に壊れるだろう。

この時のディスプレイの状態はどうであろうか。見た目には水を被った以外に変化は見られない。だがこのディスプレイは、もう二度と美女達のあられもない姿を映し出す事は無いのだ。

これが正常に機能しなくなったという意味での「壊れた」である。私の腹に外見上の変化が見られない以上、こちらの「壊れた」を当てはめるのがいいだろう。

さて私の腹だ。ゴロゴロと異音を、プスッと異臭を放つこの腹は正常に機能していないように思える。何故なら普段の私の腹は真面目で優等生タイプ、同期の肺や心臓なども「とても大人しくて仕事に忠実」と太鼓判を押すほどのエリートである。その腹がこれほど迷惑を回りに撒き散らす光景は異常と言えるからだ。

だが考えてみて欲しい。常に職務に忠実である事が果たして良い事なのか? 臨機応変に対応しない職務の事を世間一般では「お役所仕事」と呼び忌み嫌っている。一辺倒の当たり方では評価は得られないのだ。

ここに、購入してから5日経過したアップルパイという毒物があったとしよう。これが食道、胃を通じて腸内に進入したとき、素通ししてしまってはお粗末な対応と後ろ指を刺されてもおかしくない。

腹は独自の判断によりこの毒物を分解、撃退する道を選んだ。例え体全体に迷惑をかけても、このまま毒物を素通しするわけには行かないと判断したのだろう。結果、こうして私は腹痛に悩む事はあっても食中毒に陥る事は無かった。腹のファインプレーである。

こうしてみると何の事は無い、腹は己の職務を自らの判断で的確に処理を行っただけではないか。そんな腹に対して「壊れた」等という難癖をつける気は私は毛頭ない。腹は立派な奴だ。むしろ毒物を安易に体内に侵入することを許した口こそ糾弾されるべきではないのか。私は口を叱りつけた。しかし口の奴は反省の素振りを見せず、言い訳までしてくる始末だ。

これが本当の、口答えか。

……面白いと思ったという事はだ。僕は二年前から全然成長してないんだろう。困ったもんだ。

あと、エレメンタルノートさんのもろパクリなのはどうかと思う。