競生

4年ほど前にお袋を亡くしてから、度々考えることがあって。まあ人はどう生きるべきなのかみたいなよくある思春期の悩みなんですけれども。自分三十路間近なんですけれども。

普通になくなってくれりゃんなこと考えもしなかったのかもしれないけども、幸か不幸かお袋は俺に色々なものを残して逝きやがりまして。どうでもいいけど生きと逝きって同じ読みなんだな。あいつの表情見てみろよ、生き逝きしてやがるぜ!ってセリフだれかラノベで使ってください。どんな表情か全く想像つかんけど。むしろ誤字を疑うけど。

お袋が無くなったのが確か57。以前58って書いた気がしたけど確か57。まあ要するに年金受け取らずに死んじゃったわけで、今まで払った年金どうするのよと。結論から言うなら殆ど返ってきませんでしたよと。笑い話にもならないじゃん。その金使って生きてるうちに楽しいことしてもよかったし、美味いもん食ったってよかったわけですよ。
そう考えると、年金制度ってクジみたいなもんでしかないなあと。どこの誰が65以上まで生きれますって保証してくれんのよ。だのに65まで生きた方にちょっとずつ賞金を分けてあげるから金よこせと。なんだろうこの制度。そんな年金懐疑が一つ。

もう一つが最後に残した言葉。直接聞いたわけじゃないから本当にそんなこと言ったのかどうか知らんけど、こんなこと冗談にするとは思えないから、多分言ったんだろうと思う。体調悪くして入院して、ある日突然意識を失って、気がつけば身動きすらままならない体の中にいて、病院の中で自由のない日々を過ごして、夫やら息子やら親兄弟やらに定期的にあって、再び意識が混濁していく中でどんなことを思い、考え、意識を手放したのか。

そんな諸々を、俺は死にたいの4文字から読み取っていかねばならないらしい。難度高すぎやしませんかね? 今のところわかったのは、人は自分から死を選ぶことができるってことぐらいだ。その言葉から3日後くらいに逝って、最後まできっちりした人だったなあと、今はただ想う。