幸福への降伏

一日の幸せの量が1で生きている人間が、一度でも2の幸せの量で生きてしまったら、今まで満足していたはずの1の量での生活は不幸に思えるんじゃないだろうか。何も変わってないはずなのに。

ましてや10の幸せで生きてた人間が1の幸せで生きる羽目になったら、それこそ不幸のどん底なんじゃなかろうか。上を求めて手に入れた人間ほど不幸になりやすいんじゃないか? 幸せってなんだろう。ポン酢しょう油だけで解決するのだろうか。


そんな事を小学生のときに考えていたという事を、ふと思い出した。んでそれから何十年か経って、考え方がさほど変わってない自分に気づく。なんだろうなー、幸せって。

少なくとも、そんな無駄な事考えずに生きていける奴ってのは、幸せだと断言していいのかもしんない。