メリークリスマス

田舎が沖縄なもので、小学校の夏休みなんかにはよく飛行機を乗り回し、着いた先で亜熱帯を直接肌で感じることが多かった。日差しは本気で熱く、文字通り肌を焼いてくる。ボーっと立っているだけでジリジリと音がするような痛みを覚える。きっとトースターで焼かれるパンはこういう感覚を味わっているのだと思った。

田舎に帰ってまずやることは、親戚に顔を見せて元気を伝える事だった。そのために母親は毎年のように連れて来てくれたのだから、遊ぶのはそれから先のことだ。じいちゃんばあちゃん、おじさんおばさんに一通り笑顔で挨拶を交わした後、最後に回るのがひいばあちゃんの所だった。

既に90歳を超える高齢のひいばあちゃんは、本当にしわくちゃで幼い自分にはお化けか何かのように見えてた。しかも沖縄の方言でしか言葉を交わせないため、何を語りかけられても全くわからない。だから余計に怖い存在として見ていた気がする。

それでもひいばあちゃんにとって僕は可愛いひ孫だった。顔を見せるたび小遣いをくれようとするし、僕の手を握って一生懸命に何かを語って聞かせるのだ。もちろん僕にその言葉は全くわからないのに。それではひいばあちゃんが不憫じゃないかと幼いながらも思った僕は、周りにいた大人達になんて言ってるのか教えてくれと言ってみたものの、適当に相槌を打っていればいいから、といわれ実際そうするしかないことが少し辛くて悲しかった。ひいばあちゃんは本当に真剣だったから。

しばらくしてひいばあちゃんはボケが始まり、夏に返って顔を見せても僕が誰だかわからなくなった。他人に見せる愛想笑いで、僕がわからないことを謝っていたように思う。わけのわからない話を聞かされなくてすむ、と思えば少しは気が楽になった。

もう少ししてひいばあちゃんは危篤に陥った。すぐに呼び出されて、帰った田舎で見たひいばあちゃんは既に意識がなく、完全に眠っているような状態だった。母親や親戚のみんなはみな悲しんでいたが、僕はそこまで悲しむことはなかった。もともと本当の意味で言葉を交わしたことなんて一度もない。何より、ひいばあちゃんは僕のことなんて忘れたじゃないか。僕に愛想笑いを見せたあの時から、僕たちはずっと他人なんだ。

それから何日か後に、ひいばあちゃんは亡くなった。親戚、いや子供達の見守る中で、本当に静かにひいばあちゃんは深い眠りについた。享年99歳。結局最後まで、僕はひいばあちゃんと言葉を交わすことはなかった。

10年以上経った今、ふと他人ではない頃のひいばあちゃんを思い出す。あの時、ひいばあちゃんは僕に何を言わんとしていたのか。何を伝えようとしていたのか。何を願っていたのか。なぜかそれらが今になって、とても気になってしょうがない。