たけしの日本教育白書2006

6時間もテレビにかじりついたの久々でした。以下殴り書き。

  • いじめといたずらの違い

例えば男子のズボンとパンツを一気に下ろす行為を俺の学校ではゲッターパンツといってよくあるいたずらの一つとして小学校低学年に大人気だったわけだが、これはいじめではなかった。何故かって、毎日同じ相手が対象ではなかったし、ほぼ誰もが被害者に一度はなっていた。ついでに俺もやったしやられた。もしこの行為がいじめに変わる瞬間があるとしたら、それは特定の人物が毎日毎回被害にあったときだろう。いたずら犯が粘着性を帯びだしたとき、些細ないたずらは被害者にとって悪夢の日々に変わる。

で、この「相手にとってはただのいたずら」というのが受ける側も分かってるから、親や教師に相談しづらい一因なんじゃないかと思った。そんな小さなことで、っていう意識が根底にあるから、それが暴力だの恐喝だのに発展してもお互い意識の中に「ただのいたずら」という楔が打ち込まれたままなんじゃないかと。

  • 「子供を教師も怒れない、親も怒れない」発言

そりゃ嘘だろうと思った。教師が怒ないのは事実だが、親は怒ないの間違いだろうと。というか親が怒れないって子供はどんだけ強大な存在なんだ。怒ると毒ガスでも吐き出すのかそいつは。

  • 司馬遼太郎曰く「(優しさは)本能的なものではない。訓練して身に付くものだ」


至言。もういい加減子供をキレイなものだとかいう観念捨てようぜ。ゆとりを持たせれば子供は自分から勉強しだすとかいって、その「子供を信じる」っての本気で思ってるなら、学校とかいらないじゃんと。だってほっときゃ勉強するんだろ? んで教師は信用しないって、アホかと。それこそ教師を信用しないなら学校行かせるなよと。逆だ。信用するべきは教師であり、だからこそ学校に行かせてるんじゃないんですかねえ。