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テスト期間中なのに普段より更新頻度が高まるこのブログはナイス度胸であると思います。でもいいんだ、テストが本気で温いから。英語のテストなんて絶対中学時代のテストの方が難しかったもん。

さて、その英語の教材として使われたものに「ねがい」という歌があります。広島から発信されたこの歌は世界平和を願ったもので、全世界とはいかないまでも少しずつ世界でも歌われつつある歌ということらしい。

日本(=諸国にとっては全く関係のない他国)からこういった平和を願う歌が届けられるということは、それだけで彼らにとっては勇気を得ることのできるものだと思います。自分達以外にも平和を願う人がいる、という事実は彼らの視点が決して小さいものではないということを証明するでしょうから。


その試み自体になんら反対することはないんだけど、どうにもこの歌詞が引っかかってしょうがない。捻くれ者のサガといえばそれまでだけど、もう少しこう、うーん。

もしも、この頭上に落とされたものが、ミサイルではなく本やノートであったなら、
無知や偏見から解き放たれて、君は戦うことをやめるだろう。

本で得た知識を使ってノートに書き連ねた偏見を出版する事だって可能じゃないか。あとどんな本を落とせば偏見から解き放たれるんだろう。聖書の一番多そうな国は多分戦争やめませんぜ。

あと本とは全く無関係な生活で手に入れた知識でさえ偏見の元になりうると思う。

もしも、この地上に響きあうものが、爆音ではなく歌の調べであったなら、
恐怖や憎しみにとらわれないで、人は自由の歌をうたうだろう。

国歌斉唱!ひびきわたるぐんくつ*1のおと)

いや、自由の歌のイメージがさっぱり湧かないのだけど、とりあえず自由の国アメリカの国歌なら間違ってないよね?

もしも、この足元に植えられたものが、地雷ではなく小麦の種であったなら、
飢えや争いに苦しまないで、共に分かちあてくらすだろう。

絶対独り占めしようとする奴が出てくるし、誰が育てるのかという問題も出てくる。小麦は全自動食料調達植物じゃないと思います。

もしも、ひとつだけ願いかなうならば、戦争捨てて世界に愛と平和を
この願いかなうまで私たちは歩み続けることをやめないだろう。

これに関しては特に言うことなし。
あえて言うなら、戦争を捨てる事と平和になることは直接繋がらない気がするけどどうだろうってくらいか。


なんで僕の感性とねがいの歌詞はこれだけずれてるのかと考えてみたところ、多分この歌詞を作った人たち*2性善説を唱えているからだろうと思った。僕は基本性悪説だからずれて見えるんだろう。
立場が違うというだけで世の中これだけ違って見えるといういい授業でした。

*1:誤字

*2:広島のとある中学校の生徒達らしい