思いつきだらだら

自殺は否であるべきなんだろうけど、否ならば生きた後の未自殺者をどうすればいいのか。

生きた後の未自殺者にはずっと幸福の可能性と不幸の可能性が付きまとう。自殺は否、だけが言い分の人はここまででいいだろう。後は野となれ山となれだ。個人的には無責任だと思うが。いじめに晒されていた時間分の傷と遅れを抱えたままどう幸せになれというのだろう。


幸せになるべきだ、というなら、あなたは幸せになる方法を教えてあげなければならないだろう。そして誰にも通用するそんな方法があるならさっさと世界に公表するべきだ。皆が幸せになったならそもそもいじめなんておきないから。そんな方法は無い以上、そこにある個人を見て、考えて、理解して、幸せを教えてあげられる。一緒に掴み取る。そういう味方、仲間でなければ幸せにする、ってのは難しいんじゃないかと思った。


つまるところ本当に自殺を否と言える人は、いま少しでも自殺を止めさせ、かつその後の歩みに手を貸している人だけじゃないかと思う次第。少なくともそんな覚悟をこれっぽっちも持ってない僕は、少なくともマイナスからゼロにまでなれることは確実な自殺を否と言い切れないわけであります。

と、ここまで書いてそもそも自殺(≒死)がゼロなのか、それとも最大限のマイナスなのかがまず人によって違うんじゃないかとか思ったけどいい加減この日記っぽくない上に夜が明けたのでぐー